・琴浦地区の総氏神、鴻八幡宮は今から約1300年前の大宝元年(701)の創建と伝えられている。祭神は、宇佐神宮(大分県宇佐市南宇佐のもと宇佐八幡宮)から迎えた五柱のかみである。
 五柱の神は、まず誉田別尊(ホムダワケノミコト、応神天皇)。『古事記』 『日本書紀』によると、大和 朝廷の力が飛躍的に発展したときの天皇という。つぎの足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト、仲哀天皇)は、誉田別尊の父神。三柱目は息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト、神功皇后)で仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では、天皇急死の後、朝鮮に出兵し新羅を討ち、百済・高句麗を降状させたとある。そして玉依姫命(タマヨリヒメノミコト、神武天皇の母神)、仲姫命(ナカミツヒメノミコト、応神天皇の后)となっている。
 鴻八幡宮には、倉敷市重要文化財に指定の狛犬(木造)一対がある。これには「建武三年丙子(1336)五月廿九日慶尊」と墨で書かれた銘があり、後醍醐天皇の皇子宗良(むねよし)親王が、讃岐へ流される途中、鴻八幡宮に立ち寄られて戦勝を祈願、その願いが成就して帰京のときに奉納されたものという。
 また、寛文11年(1671)に書かれた切支丹改め状が残っており、その署名に川本平大夫(宮司河本家の先祖)と田之口村庄屋茂右衛門の名が見える。江戸時代の中ごろ、安永年間(1772〜81)に、本殿の改築が行われた。明治にはいると政府によって神社の社格の制度が定められた。鴻八幡宮は昭和19年(1944)に県社となり、名前も鴻八幡神社と改めた。なお、現在の「鴻八幡宮」に戻ったのは、昭和29年(1954)。のち拝殿を昭和51年(1976)に、神門(随身門。門の左右には武器を持った神像が置かれている)を昭和56年(1981)に改築して現在に至っている。

 

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